災害情報を多面的に捉える商人の知恵
三井文庫には1960年頃からお世話になった。はじめは、修士論文作成のため、三井家が明治初年、江戸時代の放牧場小金牧跡の開墾地へ東京貧民を送り出し、開墾農民とする授産事業に関わった史料を閲覧するためであった。その後、研究対象が災害史中心となり、天明浅間山噴火に関わる史料や絵図を利用させていただいた。
「天明三年卯七月信州浅間嶽強焼出万座山迚も大焼ニ付右大沼之崩信州より上州泥水押出人家等損候書付」(本1473-23)と外題の付けられた袋には、天明浅間山噴火(天明3年〔1783〕7月)の状況を伝える「火石飛泥水流候絵図」「川筋村々流候絵図」などの絵図5枚、飛脚屋からの通報(島屋佐右衛門書付)、江戸からの書状(近江屋五兵衛)のほか、「上州藤岡へ降候砂」一包などが収められていた。江戸店に届けられた藤岡へ降った砂の包みを開けた時には、こんな所で一世紀以上前の火山灰(砂)をみることができるとは思ってもいなかったので、一種驚きにも似た感動を覚えた。
また、7月24日付の近江屋五兵衛からの書状は、実際に現地に赴いた人物からの噴火の惨状報告を次のように伝えている。
杢、福島、五料の利根川の設けられた関所は流され、渡場は泥で通行できず、河岸場はすべて流され、人家は泥で埋まって見当たらない。蛇水(泥流)の色は黒く、熱湯のように熱い。噴火が急であったから、人家も流れ、人も夥しく亡くなった。
なお、同封の5枚の絵図の内、3枚はかわら版である。一般にかわら版は発行年月日などがわからない場合が多いが、これは日付のある書状、火山からの降砂の包みなどとともに一括されているところから、発行時期に一応の見当をつけることができるという意味でも貴重である。
災害の現場からのリアルな情報や市場の思惑を読み取り、商品(おそらくはこの場合は生糸)取引の判断材料とするのであろうが、情報収集力に長けた豪商の一面はこうした史料からも窺うことができる。
(立命館大学歴史都市防災研究所客員研究員)