江戸書状
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『東京市史稿産業篇』の編纂にあたって、三井家の史料は欠かせないものでした。特に、京都大元方に送られた「江戸書状」は、臨場感ある江戸の姿を伝えるものでした。記憶に残るものの一つに、天明7年の打ちこわしのときの報告があります。出店脇田藤右衛門からの情報として、小名木川辺の住民がこぞって集まり、相応の暮らしをしているものに無心を申し入れようという動きがあり、家主たちが対応に追われているというものです。このとき、三井家は直接の被害者でもありました。南大工町にあった向店の中店(飯米貯蔵所)に群衆が押しかけ、米7、80俵、大豆14、5俵が奪い取られました。14、5人が逮捕され、商品ではなく飯米を奪ったとして盗賊の詮議を受けることになりました。町内の佐右衛門は騒ぎに紛れ、米1俵を盗み、弟のところへ預けておいたのが露見し、逮捕、弟もともに牢死したのでした。
この間、三井家は、三井に対する「悪評」が流布しないよう細かく気を使っています。この点も、町の在り方として興味深いところです。
編年体の『東京市史稿産業篇』の編纂のため、膨大な史料を系統的に調査する余裕はなく、文庫の方をはじめ、多くの研究者のお仕事から恩恵を受けてのことでした。
上記の内容は、「証無番其外書状」に収録されていた書状の抜粋で、『東京市史稿産業篇』第31に収録されています。
(元東京都公文書館員)