沿革

三井文庫の歴史

1903(明治36)年10月、三井家の修史事業のために日本橋駿河町の三井本館内に三井家編纂室が設立されました。三井家編纂室は、東京、京都、大阪、松阪の各地に散在していた三井家史料を収集、整理するとともに、「三井家史」の編纂に取りかかり、1901(明治42)年に『稿本三井家史料』84冊を完成させました。それに続けて1912(明治45)年から1916(大正5)年にかけて『三井家記録文書目録』5冊(本号、別号、続号上、続号中、続号下)を完成させました。

三井家編纂室は1918(大正7)年に荏原郡戸越(現在の品川区豊町)に移転し、三井文庫と名称を変更しました。引き続き、三井大元方史、呉服事業史、両替事業史などの編纂にあたりましたが、あくまで「三井家史」編纂のための組織であり、所蔵史料はもとより、三井文庫職員による研究成果も、原則として外部には公開されていませんでした。戦時中には所蔵史料の一部を空襲により失ったものの、大半の史料は大磯町や山梨県塩山市近郊に疎開して焼失を免がれました。終戦後、GHQの指令により三井本社は解散し、三井文庫も活動の停止を余儀なくされました。三井文庫の敷地と建物は文部省に売却され、新設された文部省史料館の施設となり、三井文庫の所蔵史料は文部省史料館に寄託されました。

1953(昭和28)年ころから、三井文庫を再建しようという話が三井グル-プの中で持ち上がり、1960(昭和35)年に文部省との間で三井家文書の返還交渉が始まりました。同年中には史料返還の見通しが立ち、三井系会社11社の賛同をえて三井文庫の再建が決定されました。文部省からの認可を受けて、1965(昭和40)年5月に現在地、中野区上高田5丁目において財団法人三井文庫が設立されました。設立時点での賛助会社は21社でした。同年9月には史料の搬入も完了し、事業が始められました。これまで門外不出であった三井家文書が公開され、学界の研究に供されることになりました。年来、特定公益増進法人としての指定を受けてきましたが、国の法制度変更に伴い、2010(平成22)年4月1日に内閣府より公益財団法人の認定を受け、今日に至っております。

三井文庫においては近世の商業金融と近代の企業経営に関する研究もおこない、その成果を『三井文庫論叢』(年1回刊行)に発表するかたわら、『三井事業史』(本編3巻5冊、史料編4巻5冊)の刊行を進めました(2001年3月に全巻完結)。

1985(昭和60)年には三井家から美術品の寄贈を受け、別館(美術館)を設立しました。2005(平成17)年には別館を日本橋に移転し、三井記念美術館として開設し現在にいたります。

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